大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成4年(ラ)161号 決定 1992年6月19日

抗告人

甲野一郎

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  本件抗告の趣旨は、「原決定を取り消す。抗告人の証言拒絶は理由がある。」との裁判を求めるというのであり、その抗告理由は、別紙「即時抗告理由書」記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  当裁判所も、抗告人の証言拒絶は理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり、付け加えるほか、原決定の理由説示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(一)  原決定二枚目一〇行目の「口述し」の次に「、同公証人がこれを筆記し」を加える。

(二)  同二枚目裏六行目の「原告は、」の次に「本件遺言に基づき、第二遺言は本件遺言により取り消されて効力のないものとなったことを理由に、」を加える。

(三)  同二枚目裏一一行目の「本件の」を「本件訴訟の」に改め、同行の「どうか」の次に「、本件遺言が誠吉の真意にでたものか否か」を加え、同三枚目表三行目の「レントゲンフィルム」から同四行目の「不明であるとして」までを「主治医等関係職員がその発見に務めているが、レントゲンフィルムを除き右嘱託に係る入院診療録等の所在が不明である旨の回答があり」に改め、同裏二行目の「本件遺言」の次に「に係る公正証書の」を、同三行目の「者であり、」の次に「右本人尋問において、右公正証書作成当時、」をそれぞれ加える。

(四)  同五枚目表四行目の「嘱託人」から同五行目冒頭の「ては、」までを「公証人の取扱った事件について一般的に守秘義務を課した上、取扱った当該事件の嘱託人の同意があるときはその義務を免除しており、右義務に違反した場合は、」に、同一〇行目から同一一行目にかけての「それら一切の事実」を「取扱った事件に関する右のような事実」に、同一一行目の「自らの」から同裏二行目の「こと」までを「事件の内容等を開示することができるようにしたもので、その趣旨は、嘱託人の同意があるときは守秘義務を免除していること」に、同六行目の「一般に」から同七行目末尾までを「そうでない事実についても一般的に守秘義務を認めたものと解することができる。」にそれぞれ改める。

(五)  同七枚目表一行目冒頭の「本件」の次に「訴訟における当面の」を加え、同四行目の「理由は詳らかではないが」を「前記のとおり、誠吉が入院していた東京都立駒込病院の回答によれば」に改め、同五行目の「あり、」の次に「現時点において、右」を加える。

(六)  同七枚目裏二行目の「最後の」を削り、同三行目の「公証人」から同一一行目の「事実であり、」までを「甲野公証人は、本件遺言に係る公正証書を作成した公証人であるから、仮に右公正証書作成当時の記憶が保持されていれば、右争点についての判断に必要な誠吉の当時の言動等の事実につき証言することのできる者と認められるのであって、前記のような本件訴訟の経緯等をも考慮すると、現時点においては」に改める。

(七)  同八枚目表七行目の「最後の」を「本件遺言に係る」に、同九行目の「自分の」から同裏六行目末尾までを「遺言者が死亡した後に、公正証書遺言によってされた財産の帰属に関する遺言者の意思表示の効力を巡って紛争が生じ、この点に関する事情について、当該公正証書を作成した公証人の証言を得るほかこれに代替し得る適切な証拠方法がない場合、右紛争について実体に即した公正な裁判を実現するために、右紛争の争点に対する判断に必要な限度で遺言者の秘密に属する事実が開示されることになっても止むを得ないものというべきである。」に改め、同九行目の「このことは、」の次に「本件訴訟が本件遺言を無効とする被告とこれを有効とする原告との争いである以上、」を加える。

(八)  同九枚目表一行目から同二行目にかけての「知識を有すると考えられる」を「証拠方法というべき」に改め、同五行目の「本件」の次に「訴訟の」を加える。

2  抗告人は、原決定が抗告人に手続費用を負担させる裁判をしたのは違法である旨主張するが、証言拒絶の当否についての裁判の費用は、本来の訴訟費用ではなく、証言を拒絶した当該証人と挙証者との間のいわゆる中間の争いを解決する裁判の費用に該当するものであるから、証言拒絶に理由がない場合に、民事訴訟法九五条ただし書、八九条により当該証人を敗訴者に準ずる者として右費用の負担者とすることになんら違法な点はない。

三  したがって、原決定は相当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、抗告費用の負担について民事訴訟法九五条本文、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 新村正人 裁判官 齋藤隆 裁判官 原敏雄)

別紙即時抗告理由書

第一 原決定は公証人の証言拒絶権の有無について法令(民事訴訟法第二八一条第一項第二項)の解釈適用を誤っている。

1 遺言者が死亡した場合の公証人の証言拒絶権の有無について原決定は、遺言者の相続人の意見を考慮することなく「証言拒絶によって保護される利益を比較し、死者の意見を忖度して」決すべきであるとするに対し、法務省の解釈は「相続人間の財産の争いであるからその相続人(数人あるときは全員)の意思によって公証人の守秘義務の有無を決すべきである」としている。

以下原決定と法務省解釈を比較考慮することとする。

(一) 原決定について

原決定は「公正な裁判を実現する上で証人の具体的証言を得る必要性と、証言拒絶によって保護される秘密の内容及び性質、その他の開示によって損われる利益の性質及びその程度等を相関的に考慮した利益考量に基づき、証言拒絶権の範囲が画定されるものと解する」(原決定第二(当裁判所の判断)の二)とし、要するに秘密を守ることによって保護される利益と、これを開示することによって失われる利益の大小によって証言拒絶権の範囲が決められると言うのであるが、抽象論としては立派な理論の如くみえるが、そもそも右両者を質や量の大小によって取捨選択すること自体不可能なことであり、選択する人の人生観価値観によって左右される危険性があり、とうていこれを承認することはできない。

また原決定は「遺言作成に関する自らの私的事実を最良証拠として開示することが求められている場合に、それを秘密にして不十分な資料で権利関係を確定するか、秘密が暴露されても証拠資料に追加して正しい認定の可能性を高めるか二者択一の選択を迫られたとき遺言者の合理的意思を忖度すれば秘密開示を肯定すると考える」(原決定第二―二の後段)としている。しかしながら右の如き推論のみで死者の意思を判断すること自体極めて危険である。

(二) 法務省の解釈について

(1) 法務省は、昭和四一年八月八日付民事局長回答のなかで公証人法第四条の解釈として「嘱託人が死亡した場合は公証人の黙秘義務が免除されることになるとは考えられないので、公証人が裁判所で証言を求められた場合には民訴法第二八一条一項又は刑訴法第一四九条により証言を拒絶することができる(原審提出の抗告人の「疎明書」に添付)としていた。

(2) 平成二年二月二六日付民事局第一課長回答によれば、「公証人は公証人法第四条の黙秘義務を理由に裁判所の証人としての呼出しに対して出頭を拒否することはできない。

また、公証人は公正証書作成過程について、遺言者の相続人からの申請で裁判所から出頭を命じれられ、同裁判所で証言することは、公証人の守秘義務に抵触しない」旨弁護士会に回答しており、その解説として①嘱託人が死亡した場合にはその相続人(数人あるときは全員)の同意があれば黙秘義務は免除される。②公証人の証人尋問が嘱託人の相続人の申立てによる場合は、証人申請した側の相続人が同意しているとみるについては異論はない。また、相手方も証拠決定につき意見を述べる機会が与えられているという手続構造を前提にして考えると、少なくとも同意の意思を黙示で表示しているとみても差しつかえないから、公証人は黙秘義務が免除され、証言義務を負うこととなる。③嘱託人の同意がない場合、公証人が民事訴訟法上の証人として尋問を受ける局面においては公証人法第四条の規定による黙秘義務の規定は働かず、専ら民事訴訟法の規定を受けることになると解するのが正しいと思われる。この解釈が是認されるならば嘱託人の同意がない場合は、取り扱った事件に関し、秘密に属する事項についての証言を拒否することができることになる(原審提出の抗告人の「疎明書」に添付)。と解説している。

(3) 右(2)の第一課長回答は(1)の局長回答を変更し証言義務の範囲を拡大したもので、相続人の意思を死者の意思に代置できるものではないから変更の根拠は甚だ疑わしい。

しかし、仮にこれに従うとして、本件に照らすと、本件は被告側が抗告人を証人申請したものであるから、被告側が抗告人の証言に同意していることは間違いない。原告石川志津乃は抗告人が原審に於て平成三年一〇月二一日付の「疎明書」を提出するに先だち、原告代理人に照会したところ「公証人の証言には同意しない」と言明した。また、平成三年一二月三日原審口頭弁論期日において裁判長が原告代理人に意見を求めたところ、「公証人に証言を求めることは同意しない。原告本人が傍聴席に出頭しているので確めてもらってもよい」と発言した。原決定もこの点を認定しているところであるが、要するに本件については、抗告人は民訴法第二八一条二項の証人の黙秘義務を免除されていないのであるから、抗告人には同法からしても黙秘義務が厳存していると言わなければならない。

2 原決定は、「原告が抗告人の証言に反対したため、遺言者作成の情況が明確にならないので、実体的真実を究明する必要がある。

死者の意思を忖度して抗告人に秘密開示を命ずる」と断ずるのであるが、もともと当事者の権利保護を目的とする民事訴訟は当事者が提出しえた証拠により真実の裁判を求めることが保障されていれば足り、証拠を提出するにつき、事実上ないし法律上の制約(法の定める証言拒絶権は法律上の制約である。)があるため、真実の発見に十全を果たしえなかったとしても、まことにやむをえないところである。

実体的真実の発見を公益的なものとして強調して行けば、証言拒絶権は極めて局限された場合にしか認められなくなるが、それは民事訴訟の本旨とするところではない。

前記平成二年の第一課長回答が、相続人全員の同意を条件に証言拒絶義務の免除を認め、また民訴法二八一条を公証人法四条よりも優先適用させた(ということは、証言拒絶権の範囲を、「取扱ヒタル事件」の中の「黙否スヘキ」秘密に限定したことを意味しよう。)のは、「裁判の公正」の要請を重視し、嘱託人の秘密保持の要請との妥協点を、「黙秘スヘキ」秘密を定めた右民訴法の規定に(また遺言については相続人全員の同意に)求めるのを相当としたからであり、抗告人が疑念をとどめながらも右回答の線まで譲歩しようとするのも、同じ趣旨にほかならない。しかし、その妥協点として到達した「黙否スヘキ秘密」にあたるか否かは、当該事実自体によって決せられなくてはならず、原決定の第二の二で認めている秘密がまさにこれにあたる。

しかるに原決定は、右秘密の内容を重ねて公正な裁判の要請と対比して利益考量すべきものとし、しかも後者に当該訴訟における他の証拠関係や心証の度合というような、裁判所の裁量に委ねられ、他からは窺知することのできない事項と絡み合わせている。これでは、証言拒絶権の範囲は、裁判所の心証形成のまにまに揺れ動いてとどまるところを知らず、証人自身では拒否すべきか否かの判断の仕様がないことになる。

一定の者に拒絶権(=拒絶義務)を定めた法の趣旨は、かようなものではない筈である。

東京高決昭59.7.3高民集三七巻二号一三六頁が「証言拒絶権の有無に関する裁判について法が即時抗告を許している趣旨は、抗告審裁判所が尋問内容の関連性・必要性の点をも含めて審査することを予定するものではなく、尋問そのものが相当であり必要であることを所与の前提として、端的に民訴法二八〇条・二八一条所定の要件の存否のみを審査させるにあるものと解される。」としているのも、証拠の必要性等とは切り離して二八〇条所定の要件があるか否かを判断すべく、その判断が可能であることを示したものということができる。

当抗告審においても、端的な二八一条に基づく判断を仰ぎたい。

以上につき、石川明「公証人と証言拒絶権」判例タイムズ五五七号六四頁。

波多野雅子「公証人の守秘義務と証書拒絶権」公証法学一五号一頁以下御参照。いずれも他の証拠関係等と関連させてはいない。

第二 原決定は、民訴法九五条・八九条によって抗告人に手続費用の負担を命じた点で法令の解釈適用を誤っている。

訴訟費用は本来当事者間において負担の裁判を定めるべきものである(東控決・昭8.11.22新聞三六六二号一〇頁)。

第九五条により補助参加申出の許否の決定や受継申出の却下の決定に際しては、旧来の当事者以外の第三者との間で費用負担の裁判をする形になるが、これは当事者ないし準当事者たる地位に立とうとして積極的申立に及んだ者に関する場合であるから、純然たる第三者ではない。これに反し、証人はただ呼び出されて証言を求められるだけで、当事者的能動的行為は何もしていない。ただ、抗告人は、法令の解釈からも、特に監督官庁である法務省の回答に照らしても、証言を拒絶すべきものと考え、その旨を申し出たにすぎず、証言義務ありとする訴訟指揮の裁判が確定すればそれに応ずる所存であることに終始変りはない。本抗告の申立ては別として、抗告人は誰を相手に争い、誰に敗訴した(八九条)というのであろうか。証人尋問を求めた被告代理人と証人たる抗告人との間で証言義務に関する見解を異にしたため、訴訟指揮権を有する裁判所の判断を仰いだだけである。これを当事者と第三者との間における中間の争いとみるのは到底当を得ない。まして、前項で論駁したが、証人として窺うべくもない訴訟状態に絡んで証言拒絶権の有無が決せられるというのでは、証言拒絶権ありと考える証人は、何の落度がなくても常に費用負担の危険にさらされる。

民訴法九五条は証言拒絶の当否の裁判に適用されるものでは絶対ありえない。証人は証言拒絶を理由なしとする裁判確定後になお証言を拒むときに限り、第二八四条による制裁を受けるものとするのが正当な法理であると信ずる。(菊井=村松全訂民事訴訟法「1」五一一頁も同趣旨と解される)。

ちなみに、本決定は同条を適用すべき要件を欠くから、同条の決定と解する余地はない。同条の決定だとすれば論駁すべき幾多の点があるが、ここではふれないこととする。

以上の諸点につき更に裁判を仰ぐため本抗告に及んだ次第であります。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例